自分の人生のはずなのに、主役は自分ではない
みなさん、こんにちは。POLE・STAR株式会社の佐久間理央と申します。
父の介護をしているうちに、そのことが生活の中心になっていって、自分で自分の人生を生きていない気になってきてしまいました。これはちょっと・・・
自分の人生の主役は自分だったはず・・・が、気が付くと主役交代!主役の座に座っていたはずが、違っていました。いつの間にか。あれ?
要介護者がいる生活は、その人を中心に介護する側はサポートしながら脇役になってしまうからです。
自分のことは二の次で、常に要介護者のことを最優先し、考えていかざるをえないのです。
当然のことなのですが、やはりこちらにもこちらの生活があり、刻んでいる時間は一緒なのに・・・
主役ではない自分に対して抱く複雑な想い
ふと気が付けば、セリフもない通行人になっているような気になることがありました。
話の筋に何の影響もない、小さな・小さな存在に思えてしまうことが。
そんな時、仕方がないとわかっていても、むなしいような、さみしいような、どうしていいのか途方に暮れるような、憤っていいのか、泣いていいのか、感嘆すればいいのか・・・何処にも当てようのない暗澹たる思いが、心にあることを自覚させられます。
さらに父に対して抱く複雑な想い
介護の年数が少なく亡くなられた方の話や、急逝したお話、訃報のはがきが届いたときなど、我が家のことじゃないんだと、思っている自分がいるのです。
病気で倒れて、入退院を何度も繰り返し、死の淵から何度も戻ってきていた父に、三途の川は見えなかったのかと聞いたこともありました。
子供のころ聞いたお坊さんの説法では、父は徳が足りな過ぎて、お釈迦様か、閻魔様か知らないけれど追い返されているのではないか。すでに他界している父方の祖父母が世話をするのが嫌で、追い返しているのではないかと、冗談で話したことも。
ここまで介護が長くなると、半ば本気で神頼みしかないのか?と考えていました…!
<続く>
この寄稿文は全3回の連載です。
この記事は、doppo の内容をアレンジしてお送りしています
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この記事の寄稿者
佐久間 理央
POLE・STAR株式会社ディレクター
大正大学大学院人間研究科修士課程修了(社会福祉学)。
私立国際武道大学、社会福祉法人武蔵野療園、社会福祉法人渋谷区社会福祉協議会等を経て現在POLE・STAR株式会社を設立。
主に福祉や生活に関する相談、コンサルティングを行っている。