だんだん分かってきた介護とのつきあい方
父が体調を崩すタイミング、ケアマネージャーや訪問看護師、様々なサービスの事業所の得意不得意等がわかってくると、
「この時は○○事業所にお願いしよう」
「この状況になったら、在宅では無理なので、主治医や訪問看護師と相談し入院が必要」
といったことや
父親がどうしても自分で出かけたいのはこんな時、
ほしいというものでも、買ってくれば納得するものと、どうしても自分で買いに行きたいものがあるといったパターンがわかってきます。
時間の使い方が分かり、生活の捉え方が変化
すべてが把握できたわけではありませんが、タイミングやサービスの活用の仕方がわかれば、何とかペースもつかめるようになってきます。
ペースをつかめば対処のコツもわかってくるし、しばらくすると様々な意味で割り切ることもできるようになっていきました。
そうなってくると、時間の使い方も変わってきます。
幸い我が家では母と私が介護をしていたので、仕事の都合や自分の予定を入れやすく、自分の中での線引きができて、何をどのように優先するのかができるようになっていきました。
漠然と始まった介護中心の生活が、基本は自分達の生活プラス父の介護という様にとらえ方も変わっていきました
自分のことを相手に話すのは難しかった
父親が倒れたのは、私が30歳の時。
同年代の親御さんはまだまだ元気な方が多く、介護で起こる問題を理解してもらうのが難しかったり、父の状況が内科・外科・循環器と他病気がいくつも重なっていたため説明がしにくく、何をどうやって伝えればいいのか、わからなかったのです。
どうしても自分の中に抱え込み、ストレスをコントロールするのが大変な時もありました。
行き場のない怒り、孤立感等で、いつまで続くのかと不安に思った時もあります。
自分を大切にしながら、余裕のある介護を
自分のやりたいことをあきらめたことや、まさかの方向転換もありましたが、そんなことを繰り返しているうちに、介護には終わりがやって来ます。
振り回されながらも、自分を大切にしながら関わっていくと、気持ちが楽になり、余裕をもって介護ができるようになるのかもしれません。
この寄稿文は全3回の連載です。
この記事は、doppo の内容をアレンジしてお送りしています
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この記事の寄稿者
佐久間 理央
POLE・STAR株式会社ディレクター
大正大学大学院人間研究科修士課程修了(社会福祉学)。
私立国際武道大学、社会福祉法人武蔵野療園、社会福祉法人渋谷区社会福祉協議会等を経て現在POLE・STAR株式会社を設立。
主に福祉や生活に関する相談、コンサルティングを行っている。