介護の話に「いつか、また今度」というタイミングはない
親が亡くなり、介護や相続でもめて、その後は縁が切れたような状態になった、という話は珍しい話ではありません。介護だけでも大変なのに、家族との関係が悪化すれば、問題はさらに増え、自力での解決も難しくなります。
「死」や「介護」等を話題にすることは、なかなか勇気もいるし、難しいことだとは思いますが、時間は有限なのです。「いつか、また今度」と思っていると、たぶん一生そのタイミングは見つからないと思います。
突然始まり、10年に及んだ介護
我が家の場合、父が定年退職を迎えた頃からそんな話をしていました。具体的には何かを決めていたわけではなく、70歳を目安に今後について共通認識を確認しようと話し合っていました。
ところがその矢先、父が旅先で倒れたのです。
急に始まった看病からの介護。その時は、介護が10年に及ぶとは誰も想像できませんでした。
後悔するのは介護が始まってから
父は幼少のころから身体が弱く、「成人は迎えられない」と言われていたそうです。そして心臓も丈夫ではなかったので、「自分は絶対に心臓まひで死ぬのだ」と、とよく話していました。病院が大好きで、病院に行くと元気になるし、長時間待たされる大きな病院での定期検診も、まるで遠足に行くように楽しそうに出かけていました。楽しみは病院の近くでランチを食べることだったようですが。
私や家族の認識として、父は持病がたくさんあるし、最後の時も突然来るかもしれないし、病院にお世話になることも多くあったので、介護のことやどのように終末を迎えたいのかを話し合う機会を持ってはいたのですが、それでも実際に介護が始まると、もっと具体的に話し合っておけばよかったと思うことも、かなり出てくるのです。
<続く>
この寄稿文は全3回の連載です。
この記事は、doppo の内容をアレンジしてお送りしています
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この記事の寄稿者
佐久間 理央
POLE・STAR株式会社ディレクター
大正大学大学院人間研究科修士課程修了(社会福祉学)。
私立国際武道大学、社会福祉法人武蔵野療園、社会福祉法人渋谷区社会福祉協議会等を経て現在POLE・STAR株式会社を設立。
主に福祉や生活に関する相談、コンサルティングを行っている。